تسجيل الدخول「いいだろう? 私だってもう十九だ。馬小屋の仕事ぐらいできる、やらせてくれないか?」
「あー……エリオットさま……お気持ちは有難いのですが……ここは俺たちにお任せいただけませんかね」
「そこを何とか頼めないかな、この通りだ」
しかしそれは全く役に立つことはなく、むしろ見知らぬ人間が馬小屋に立ち入ったことで新入りの馬はおろか、他の馬たちまでも騒ぎ立て始める事態になってしまったのだ。
「しかしそう言われましても……現にここはもう手がいっぱいなんですわ」
「…………」
年長の厩番が申し訳なさそうにそうエリオットに告げている間も、馬たちは鼻息荒く暴れまわり、
「ったく……ご令息様の気まぐれで慣れないことに首を突っ込まれても困るんだよなぁ」
「片付けはこっちがやらされるんだっつーのに」
聞こえよがし若い厩番たちが言い交わす言葉が聞こえ、エリオットは居た堪れなくなってくる。しかしそれでも、役に立ちたい気持ちに変わりはなく、つい目の前の厩番の男に縋るように請うていた。
「なあ、お願いだよ。私だけ、未だに馬に懐かれてないから……」
父親は勿論、一番上の兄もその下の兄も、この伯爵位にあるハイランド家の男子は乗馬が得意だ。だがただひとり、エリオットだけが馬に触らせてもらえてすらいない。何故だか馬がエリオットを怖がり、いつも怯えてしまうのだ。
「いったい何の騒ぎだ」
「ああ、アルバート様……」
「兄上……」
騒ぎを聞きつけたのか、それとも誰かが伝えに言ったのか、長兄のアルバートが苛立った様子で馬小屋に現れた。
荒れ放題の馬小屋の状況を見るなりアルバートは顔をしかめ、そしてエリオットの方をにらみ付ける。
「またお前か、エリオット」
「いえ、私はただ手伝いをしようとしただけです」
「じゃあこの状況は何だと言うんだ」
「それは……」
アルバートに詰寄られ、エリオットが答えに窮していると、「実は、エリオットさまがどうしても馬に乗せてくれと仰るもんで……」と、厩番の男が口を挟んでくる。しかしそれはエリオットをフォローするためではなかった。
「こちらといたしましては、気性の荒い馬がいるんで危ないからお控え頂きたいと申しているんですがねぇ……なかなか聞き入れてくださらなくて」
どうやらアルバートが呼ばれたのは、エリオットが頑として馬に触らせろと我儘を言って困っていると伝えられたらしい。エリオットとしてはそんな意図でここに来たわけではないのに。
「エリオット様のお気持ちはわからなかねえんですが、ご令息に何かあってはいけませんからねぇ」
厩番の言葉にアルバートはじめ他の厩番たちも肩をすくめて嗤っている。その状況はあまりに居た堪れなく、エリオットは申し開きすらできない。
そこまで言われてしまうと、それ以上言い募ることは見苦しいというものだろう。それくらいのわきまえはエリオットにだってある。しかしこのままではエリオットがただ我儘を一方的に言ったようにしか思われない。
「使用人に過剰に気づかいをさせるなど、ハイランド家の子息として情けなくないのか?」
「ですが、兄上」
「言い訳は聞かないからな。さっさと部屋へ戻って自分の行いを反省するんだ」
まるで幼子に言うような苦言に、周りの使用人たちがクスクスと声を潜めて嗤っている。そしてどこからか「これだから成り上がりの子息様はわきまえをご存じない」という声まで聞こえる。その言葉に、エリオットはグッと拳を握りしめてうつむくしかなかった。
「……申し訳ありません、兄上」
わかったならもう部屋へ帰れと追い払われ、エリオットは足早に馬小屋をあとにする。冷たい視線と笑い声が胸を抉るように突き刺さる。
「やれやれ……あの“母親殺し”にも困ったもんだ。どうも我儘でいけない」
アルバートの聞こえよがしの言葉に、じわりと涙がにじみそうになり、エリオットは足を速める。いつも言われ慣れている言葉ではあるけれど、いつまでたってもそれから受ける痛みには慣れることがない。それはエリオット自身の出自が影響しているからだろう。
エリオットの母は、元はこの伯爵位のハイランド家に仕えるメイドの一人だった。しかし父親に手を出されてエリオットを身籠ってしまい、幼い頃は平民として暮らしていたのだ。
だが、エリオットが四歳の頃に母親が突如として行方不明になって置き去りにされたことで、やむなくハイランド家の末の令息として養子に入って現在に至っている。すべては庶子という存在を気にするハイランド家の保身のためだ。
しかし養子に入って伯爵令息になったものの、エリオットには最低限の教育も受けさせてもらっておらず、立場としては使用人とそう変わらない。平然と先程のように皆の前で罵られ、嗤われ、惨めな思いをするばかりだ。
「母さんが生きていたなら、私がこんな目に遭うことはなかったのだろうか……でもだからと言って、私が母さんを殺したわけではないのに」
いくら探しても見つからない母親の行方は、いつの間にかエリオットが殺したのではと義母や兄たちをはじめとする家族に疑いが駆けられ、いつの間にかそれが“母親殺し”という不名誉な異名にまでなってしまっている。どれだけ違うと無実を訴えても、所詮は平民のことだと言われ、出自を隠すために母親を殺めたのではまで言われてしまう始末。出自を理由に誰ひとりとして家族はエリオットの話に耳を貸してはくれない。
それでなくともエリオットは華奢で、十九を迎えるのに少年のように小さい。その上色白でそばかすのある肌に大きく二重の緑の目が余計に幼く見せてくる。そのせいで使用人からは必要以上に侮られて子ども扱いをされ、振る舞いがわがままだととられることが多い。
「皆に話を聞いてもらうには、伯爵令息としてあるべき姿を取れば良いのではないだろうか」
日々冷遇される状況を打開するためエリオットはそう思い付き、実際に行動に移してみていた。
例えば、流行りの風邪で厨房の人員が足らないと言われれば加勢を申し出ることもあった。
「イモの皮むきなら私でも出来る。やらせてくれないか」
「いや、しかし……」
「大丈夫、父上たちには私から上手く言っておくから」
伯爵令息から直々のそう言われてしまうと使用人たちも断りようがなく、渋々といった様子で受け入れてくれはしたのだ――現実はエリオットの思い描いたようにはいかない。
その日エリオットが皮むきを担当した野菜のスープを食すると、何故だか食べた者が食あたりを起こす騒ぎとなってしまったのだ。
当然、父や長兄のアルバートらかは烈火のごとく叱られ、罰として数日エリオットの食事が抜かれてしまった。
それを知った使用人たちが委縮してしまい、エリオットからの手伝いの申し出を受け容れようとはしなくなってしまったのだ。
厨房がダメなら馬小屋を……と思って今朝顔を出してみたのが先程の件で、それもまたただ現場を混乱状態にさせてしまい、厄介者扱いされただけだった。
その他にも、薪割りを手伝おうとすれば傍にいた使用人に薪が当たってケガをさせたり、お茶の給仕をしようとしてひっくり返してしまったり、兎に角エリオットが何か王道するとろくなことが起きないのだ。
「どうして私が何かをしようとすると、いつもよくないことになってしまうんだろう……ワザとじゃないのに」
とにかく、エリオットが周りに親切にして、母親殺しの汚名を返上しようとすればするほど、引き起こされる結果は彼の願いとは真逆のものばかり。それらが積もりに積もったせいもあって、エリオットはハイランド家のわがまま令息とまで噂されるようになり、母親殺しの異称と共に不名誉な肩書ばかりが増えていくのだった。
城へは竜化した魔王のお陰で瞬く間に帰り着くことができたが、その間もエリオットの容体は刻一刻と悪化していく。痛みによる熱にうなされ、いまはもはや会話すらままならない。 塔の上のエリオットの寝室の寝台に寝かされ、魔王による回復の魔術が行われるのを待つしかない。「……思っているよりも傷が深いな……体の中の骨があちこち折れておるようだ」 エリオットの体に手をかざしながら傷の具合を確かめていたらしい魔王が苦々しく呟く。どうやら想像以上の重傷を負っているようで、魔王が困り果てているのが伝わってくる。「へい、き……です……ッあ、ッく……こう見えて、私、痛みに、強い、ですから……」「ああ、喋るんじゃない。傷に響く。案ずるな、きっと治してやる」 そう魔王は微笑みかけてはくれるものの、深刻な事態に変わりはないらしく、すぐさま表情が曇ってしまう。それが一層エリオットには気がかりだった。 窺うように目を向けていると、魔王がそっとエリオットの汗ばむ額を撫でてくれる。優しい手つきに目を閉じて受け止めていると、魔王は言葉を選ぶようにして口を開く。「エリオット……俺は、お前をどうしても助けてやりたい。お前は俺に愛とは何かを教えてくれた。いまやお前の存在は俺にとってなくてはならぬものだ。お前がいない日々など、到底考えられぬ」「魔王様……」 出会った頃はあんなに拒まれ、存在を否定せんばかりの態度だったのに。なくてはならないとまで言われ、エリオットの目に喜びの涙があふれてくる。モルは魔王からの愛など与えられるわけがないと言っていたが、それが違うことを感じさせる。 頬を伝い流れていくエリオットの涙を指先で拭いながら、魔王は顔を撫でてくれる。「いまから最大級の回復の魔術を施してやろう。瀕死の生き物でさえ快癒させる術だ、きっと助かる」 そう言いながら魔王がエリオットの痛みを覚え
瞬きをする間もなく連れてこられたのは、ガラスのように磨き上げられた氷でできた洞窟の中の部屋。どうやら北限にあるモルの住処に運ばれたらしく、そこは恐ろしく凍えるほど空気が冷たい。 吐く息さえ凍るほどの寒さのなか、エリオットは痛む体を支えながら氷でできた堅牢な檻の中に閉じ込められていた。「ッう……あ……体が、痛い……」 壁にたたきつけられた際、うちどころか悪かったのか、ひどく全身が痛む。恐らくどこか骨が折れているか、見えないところに大きな傷を負っているのかもしれない。確かめようにも痛みと寒さで体が思うように動かず、エリオットはただじっと痛みを覚える箇所をさするしかできない。 北限の地に連れてこられたことは、この凍えるような部屋の寒さで気付くことができた。しかしここが魔王の城からどれほど離れているかはわからない。何より、どう魔王にさらわれたことを知らせればいいのか、魔力がまったくないエリオットには何の手立てもなかった。「考えろ……何か手はあるはず……絶対、魔王様のところに帰るんだ……」 痛みと寒さ、そして不安で頭がどうかなってしまいそうな不安と恐怖を覚えるも、それでも正気を保っていられるのは魔王を想う心があってこそだ。「魔王様……逢いたい……」 祈るようにうずくまり、名前を唱える。届くともわからない祈りの声は、冷たい床に落ちて転がる。かすかに右の小指が熱を持っているが、それが何になるかもわからない。 強い拒絶を超えて心を開き、少しずつ気持ちを築き上げてきた魔王との関係は、きっと味方になってくれるに違いない。エリオットはそう信じ、ここから脱出する手立てを考えらながらも必死に自分を奮い立たせていた。「さてそろそろ観念する気になったかな、エリオット」「モル……」「どんなにお前があいつに想いを馳せようとも、所詮無力な人間の祈り。届くわけがない。無駄な足掻
「ああ、いよいよなんだな……」 生贄嫁としての役割を全うする時がそこまで迫っている。その日を迎えるまでに積み重ねてきた日々は、長くも短い、目まぐるしいものだった。 悔し涙にくれたこともあるし、自分の至らなさに忸怩たる思いを抱いたこともある。だがそれも、魔王と共に過ごし触合っていく内に、新たな信頼と感情を芽生えさせる種となっていった。 それがいま芽吹こうとしているのかもしれない――エリオットはその喜びにひとり頬を緩めて微笑む。 儀式にはただいな犠牲が伴うと言っていたモルの言葉が全く怖くないわけではない。それが嘘かどうかもわからない。だからこそ、こうしている間にも頭の片隅では「本当にそれでいいのか?」と、問うような自分の声がする気もする。「でも魔王様ならきっと、大丈夫」 先程の言葉にしても、眼差しにしても、とても儀式である性交のあとに相手を殺すような残忍さは窺えなかった。魔王はかつて想像していたような恐ろしい存在でないことは、エリオットが誰よりも知っている。 きっと大丈夫だ……そう、もう一度言い聞かせるように呟いた時、「随分と嬉しそうだね、エリオット」と、声が聞こえた。 聞き覚えのある声にハッと顔をあげると――いつの間にか先程まで魔王が座っていたソファーにモルが脚を組んで座っていたのだ。「モル様! いつの間に……」 今日は来客の予定は入っていなかったはずなのに、とエリオットが思い返していると、それを見透かすかのようにモルが柔和に――しかし目は全く笑っていない顔で――微笑む。「あいつにオレの来訪を知られれば厄介だからね。きっとまた出て行けだの何のと言われるからな」「では今日はどういったご用件で……」「決まっているだろう。君を連れ出しに来たのさ。あの恐ろしい残酷な魔王からね」 そう囁くように言いながら、モルはエリオットにゆっくりと近づいてくる。
上空で見る限り、ヴェルクレイン国の様子は前回目にした時とそう大きく変わっているように見えなかった。 見たところ内乱が起きているわけでも、他国に侵攻されているわけではないようではあったが、空から見て国の人々が飢えていないかどうかまではわからない。(やはり儀式は早めに行うようにした方がいいんだろうな。でも、どうやって切り出そう……) モルの言葉がまったく気になっていないかと言えば嘘になるが、先日魔王との間に信頼関係を再認識したエリオットにとって、それは頭を悩ませるほどの大きなものではなくなっていた。早ければ今日か明日か、近々魔王に儀式について提案しようとは考えられるほどに気持ちは落ち着いている。「エリオット、国の様子をどう思った?」 魔王と共にヴェルクレイン国の様子を見に行ってから数日後の午後、ダイニングでお茶を飲みながら魔王が尋ねてくる。午前中いっぱいかけて用意した焼き菓子が気に入ったのか、随分と機嫌がいい様子だ。 この様子なら、儀式のことを切り出しても頭ごなしに拒まれることはないかもしれない。そうエリオットは踏んだ。「はい、上空から見た感じでは私がいた頃と大きく変わらない気がしました。ただそれが、国の情勢がいいことを示しているとは限りません。それに……」 そう答えながらエリオットが胸ポケット方取り出したのは、先月母国から寄越された窮状を訴える手紙だ。ただ儀式を行いましょうというよりも、国の現状から必要性を訴える方が断られにくいのではないかと思ったからだ。「国から、まだ情勢が安定しなくて困窮しているという旨の手紙が届きまして……魔王様がよろしければ、その……近々儀式を行ってもらえればと思い……」「ふむ……」
「エリオット、いまいいか?」 魔王の背に乗ってヴェルクレイン国の様子を見に行った夜遅く、魔王が珍しくエリオットの部屋を訪ねてきた。もうそろそろ明かりを消して休もうとしていたエリオットは、魔王の珍しい来訪に目を丸くする。「ええ、大丈夫ですが……いかがされましたか?」 寝台に腰かけて書斎から持ち出した本を読んでいたエリオットは、それを枕元の台に置き、魔王に向き直る。 魔王もまたエリオットの隣に腰を下ろし、なにやら少し神妙な面持ちをしている。「お前、先程モルと何を話しておったのだ? 企みはないことはわかっておるが、何か良からぬことを吹き込まれてはおらぬか? お前のことだ、何か口の上手いあいつに騙されてはおらぬか?」 先程はモルの手前気丈に振る舞っていたのか、本心を言えば魔王とは言え不安がないわけではないのだろう。 しかしそれを正直に口にできるのであれば、いまこんな神妙な顔をしてエリオットを夜更けに尋ねてくることなどないだろう。出かけた帰りでも夕食時でもなく、いまになってそんなことを尋ねてくる辺り、いかに魔王が先程の件を気にかけて悩んでいたかが窺える。 エリオットとしては、先程のモルとの話は企みがないと答えた時点でまっさらになっているつもりだ。やましいことなどなく、魔王だけを信じているのだから。 とは言え、全く何もないといったところで魔王が信じてくれるとは思えない。そうであれば、いまの時分になって尋ねてくることなどないだろう。 だからエリオットは小さく苦笑し、「騙されてなどおりませんよ」と答える。「ただ少し、魔王様は愛想がないから大変だろうとだけは仰っていました。贈り物もしたことがないのか、って」 先程の会話とは多少違うが、モルから言われたことには間違いがない。愛想がないという話であれば毎度されている話題でもある。 その件に関しては魔王も否定できないのか、渋い顔をして「あ
「お気をつけて行ってらっしゃいませ、魔王様、エリオットさま」 ゼフに見送りの言葉にエリオットが微笑み、魔王が素早く姿を変える。 翌日の夕暮れ時、エリオットは竜化した魔王の背に乗りヴェルクレイン国の上空を旋回してくることになった。昼間でなく夕暮れ時になったのは、竜の姿を見てヴェルクレイン国の人々が騒ぎ立てることがないようにするためだ。不安定な情勢の国の上空に竜が現れたとなれば凶兆の前触れか、もしくは吉兆だとか、何にしても過剰に扱われてしまいかねないからというのもある。 支度を整えていざ出発となったその時、「おや、お出かけかな?」と、親しげな様子の声が聞こえる。振り返るとそこにはにこやかに微笑むモルが手を振って立っていた。『見ればわかるであろう。何用だ』 モルの登場に魔王の声が明らかに不機嫌に曇る。竜化した姿で睨み付けられれば怖気づきそうなものだが、そこは魔物同士であることに加えて付き合いが長いからか、意に介している様子はない。「そんな怖い顔をしないでおくれよ、アズ。一体どこに行くんだい?」『どこでだって貴様には関係なかろう』 苛立ちを隠さない魔王の口調を引き金に不穏さが生じやしないかと気を揉んだエリオットは、二人の間に割って入るように声を上げた。「そ、そうだ! モル様もご一緒にいかがですか? 私の母国の様子を見に行こうと思っていたところなんです」「ほう、それは面白そうじゃないか。是非ともご一緒させてもらいたいな」 エリオットの提案にモルが乗り気であることは明らかで、魔王には分が悪く思えたのか、ムスッと仏頂面になってしまう。『勝手にしろ。だがモルは自分で足はどうにかするんだぞ』 魔王が背に載せないと暗に言っても、モルは特に腹を立てることもなく、「承知しているよ」と言うに留める。 そうしてくるりとそ







